大吉コラム第6回「占いとご神仏」
占い師は、信心深い人が多い。
もちろんこれは、個人的な感覚。
たまたま私のまわりにはそういう人が多いというだけかもしれない。
でも統計をとっても、多分そうなる気がする。
占い師は信心深い。
そもそも、占いなんてやっていたらどうしたって信心深くなる笑。
この世には見えない「氣」というものが、聖なるものもそうでないものも含めていろいろとあり、「占い」はそれら見えない「氣」をなんとか可視化しようとするものであることが身に染みて分かってくるからだ。
ちなみに経験的に言うと、霊的感覚の鋭い人ほど占い的視点を大事にする傾向がある。
たとえば霊能者さん。
また、霊的感覚の鋭さにかけては、あきらかに男性は女性に劣る。
もちろん例外はあるが、一般論としてはそんなことが言える。
そして「聖なる氣」というものが、つまるところ、ハイクラスの神さまだったり、仏さまだったりする。
さて、そんな風に神さま、仏さまと占いは切っても切れない間柄。
では占いとご神仏とは、互いにいったい、どういう位置関係にあるものなのだろう。
……どう思いますか?
私自身も、自分に問いかけながら答えが分からず、モヤモヤとする日々が長かった。
だが、ある書物と出合い、長年の問題が一気に氷解したような気持ちになった。
山路天酬先生という真言宗のお坊さまがお書きになった本。
メインとなるのは九星気学や気学傾斜法に関する記述。
だが書籍の後半では「積徳立命法」と題して、自分の運命を能動的に変えるために必要なことなどが、平易で分かりやすい文章で紹介されている。
(ここ、大事なポイントです。とても分かりやすい!)
その中に、占いとご神仏に関する私の長年の疑問に答えを与えてくれる記述があった。
以下は『九星気学立命法』に書かれていたことを私なりに咀嚼しての紹介になる。
まず、私たち自身を一本の樹木にたとえる。
すると、自分に栄養を与えてくれる土からの養分は、まさにご先祖さまからのもの。
私たちは意識する、しないにかかわらず、誰もがご先祖さまからの恩恵にあずかっている。
つまり先祖供養、だいじです。
お彼岸の季節なので、そのことについても、ちょっと言及。
そして、私たち樹木がスクスクと成長するためには、やはり太陽のようなご神仏のご加護は欠かせないと、山路先生は言っている。
私自身、仏教に強く興味を抱き、自分なりに学びをつづけている人間なので「我が意を得たり!」という思いがした。
だがもちろん日本には信教の自由があり、「宗教なんて信じない」という人はそれでいい。
でも、「私たち樹木(人)」が天に向かって大きく枝葉を伸ばしていくためには、
「ご神仏との語らい(天)」
と
「ご先祖さまへの感謝の念(地)」
の両方が必要であり、これらがあってこそ「天地人」がそろうという考え方には、学ぶべきものがあると個人的には思う。
そして
「では占いは?」
なのだが、山路先生は真言密教のお坊さまであると同時に九星気学の達人でもいらっしゃるので、占いに対してもしっかりとした意味合いを与えている。
いわく――
占いとは、風通しをよくするための枝葉の剪定のようなもの
地面からしっかりと養分を得て、燦々と明るい日差しに恵まれたとしても、枝葉が茂りすぎて風通しが悪くなってしまうことだって、ときにはある。
視界が不良になったり、よけいなものを抱えこみすぎてズシリと心が重くなってしまったときの心の剪定こそが占い。
私は山路先生の解説をそのように解釈し、納得した。
そして、さらに大吉が個人的につけたすとするなら……
おそらく誰にも次々と襲いかかってくる「人生の苦難」はきっと「激しい雨」なのだろう。
自身が一本の木だと考えるなら、激しい雨もまた長い目で見れば慈雨。
雨があり
太陽の恵みがあって
栄養も地面からたっぷりと摂取できるから、私たちは結果的に枝葉を広げられる。
そして枝葉が広がりすぎてちょっと重くなったり視界が不良になったりしたら
そのときは占いの出番。
チョキチョキと心を剪定して風通しをよくし、あとは気持ちのいい風に吹かれればよい。
つまり五行(木火土金水)にたとえるなら、
・木 → 私たち(樹木)
・火 → ご神仏との語らい(太陽)
・土 → ご先祖さまへの感謝(地面・寄って立つ場所)
・金 → 心の剪定(占いという刃物でチョキチョキ)
・水 → 人生の苦難(慈雨)
こんなふうにも解釈できるなあと、山路先生の御本を読んで思った大吉であった。
算命学がたいせつに考えるのは、五行バランスの良さ。
私たちの毎日も、上にあげたようなものがバランスよくそろうと、もしかしたらいいかも知れない。
そう考えると、ちょっとだけ「人生の苦難」も怖くなくなったぞ笑。